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2005.9.20

街角で立っている女性を見ると
まるで自分の姿のように感じてしまいます。
もしも自分が女だったら今頃はこうやって
街角に立って涼しげな秋風に髪をなびかせているだろうなーって。
ただそういう自然なことに憧れます。
きっと自分だったらどこかの会社のOLになって
制服を着て仕事して定時には帰るような生活をしてて
たまに街にショッピングに出かけて洋服を買ったり
美容院に行ったりしてるんだろうなーとか。
そんなことが普通に出来たら幸せだなーと思いつつ
OLにはOLの苦労があるのよ!とか言われそうです。
女は表向きは華やかに見えて、裏では生理的な大変さとか
社会的には差別があったりとか
男にとって普通なこともそうではなかったりしますから。
だから安直に女がいいというのは浅はかですねぇ。
ああ、それでもやっぱり女になりたいな。


2005.9.11

はやいはやい!
この前日記を更新してからもう6日もたってる!
その間にあったこと、休みの日のこと以外
ほとんど思い出すことができない(笑)
こういうのって惰性で過ごしてるっていうんでしょうか。
今日友達と家電店に行って液晶テレビを見ていたら
なんだか欲しくなってきました。
安いものじゃないから簡単に買っていいのか悩むところ。
この前、車を買ったばかりだしね。
9月になってまだ暑い日が続いていますが
秋の気配を感じるようになってきました。
私にとって秋ってなんだか深みの感じられる季節です。
いろんなことをするのも楽しく感じるし
落ち着いていられそうだし、ちょっとわくわくします。
誕生日を過ぎた頃は精神的に不安定だったけど
そういう峠を越したみたいです。
やっぱり楽観が一番ですね。
悩んでいると淵に沈んでいくようで
毎日が色あせて面白くなくなります。
できるだけ平穏に過ごしていけたらいいな。


2005.9.5

早朝、雨が滝のように轟音を立てて降っていました。
私は半分眠った頭で何やら考え事をしていました。
お釈迦さまが得た悟りというのは輪廻転生によって
繰り返される苦から脱するために入滅することで
涅槃に入られたお釈迦さまはもう2度と
この地には再臨することはないんだろう・・・
そもそも輪廻転生ということ自体、実感がわかないのですが
私の不思議な記憶というものがあって
それは子供の頃で妹がまだ生まれていない3歳の時
よく寝ていたことは覚えているんですが
その時に考えていたことは
「あれ、戦争は繰り返されていないんだろうか?」ということでした。
「今は平和になったんだろうか?」「また誰かに撃たれるんじゃないだろうか?」
その時の私の頭の中には平和と戦争が繰り返されているイメージが常にありました。
そしてどういうわけか銃で撃たれるということに関して
とてつもない恐怖心がありました。
今ではゲームなどで平気で人を殺していますが
やはり自分が撃たれるという事に対しては
かなりの恐怖心がわきあがります。
だからって第二次大戦に参加して撃たれて死んだのが
自分の前世だとは思えませんが、
とにかく子供なのになぜか戦争の記憶がありました。
それともうひとつは機織工場のようなところにいた記憶です。
これがはっきり感じられたのは中学校の時に
遠足で明治村というところに行った時
そこにあった昔の機織工場の建物に入った時に
懐かしい気がしたのです。
でもそれも気のせいとか思えばそうかもしれません。
そのようなことからですが、転生に対して抵抗感が少ないのです。
ということは今の自分が死んだらまたその先に
生まれる可能性があるということですが、
もう一度生まれ変わりたい!と強く望む人もいれば
もう絶対そんなのいやという人がいると思います。
イヤ!という人は生まれ変わらないように
お釈迦さまの説法を身につけて悟られるといいでしょう。
なら生まれ変わりたいのならどうするのか?
そこで私はひとつのことに気がつきました。

それは簡単なことです。
欲望を持ち続けること。
この世に未練を持ち続けること。
今の生活がまさしくそうです。
あのうまそうな牛肉食べたい!
あの車が欲しい!あのイカす女を抱きたい!
そう思ってふらふらあっちこっちに気持ちが動いていきます。
それと同じことをしたのが原因です。

そもそもこの世に生まれたきっかけはなにか?
それは生まれる前、私はエネルギー体でした。光の粒子みたいな。
で何をしたかったのかというと
エネルギー体の目的は燃えたり光を発して輝くことで
とにかく無くならないようにすること!
あるもの(有)としてエネルギーを生み出し続けて
それこそ生命力と呼べる活動を続けていくことです。
暗黒の淵に飲み込まれていかないようにみんな踏ん張っているんです。
そのためのいろいろな方法がありましたが
私が選んだのは生命という個体に宿って
その体を使ってエネルギーを生み出そうという方法でした。
そして私が生まれたわけですが・・・そう考えたら
私は自分で望んで生まれてきたということに納得できました。
望んで生まれてきたのに死んだように生きることって
暗黒に落ちていくようなものですね。
でもこの今の自分の人生に懲りてしまったら
死んでまたエネルギー体になった時、
たとえおいしそうな誘惑をちらつかされても
そっちには行かないことです。
魅力的な話に飛びつくと・・・人生が待っています。
お腹の中の赤ちゃんにふわーっと漂着。
でも悲しいかなわかってるのにそっちにいっちゃうんですよね。
だって人の人生は何かわくわくするようなことが詰まった
おもちゃ箱みたいなものだからです!
たとえそれが戦争だったりしてもね(悲笑)
今魂の勉強をしていくということは
再び魂だけ(エネルギー体)になった時に
しっかりと自分で選択できるようになるということ。

命燃えて燃えて光って燃え尽きて
その熱さ苦しさから逃れたいけど
あの深遠に落ちていく怖さに比べればマシなもの。
輝ける未来に幸あれ!!


2005.9.4

9月になったのに
日記のことすっかり忘れてた。
近頃の私はすっかり鋭さがなくなっていて
風船のようにぽんわりしているみたい。
これといった目標もなくふわふわと漂っている。
ちょっと振り返ってみると誕生日には
山のほうにいって家族で鮎料理を食べてきました。
こういう夏らしい思い出はいつまでも残ります。
夏の思い出といえば他に花火もあったっけ。
あといろいろカレー屋さん巡りもしたっけ。
次の日はゴッホ展を見に行って
お昼はひつまぶしを食べました。
そのあと献血をしました。
今日は特に何も書くことがなかったんで
前のことを書いてみました。
今日といえばなんだか疲れて
起きたのがお昼だったのでびっくりしました。
でもなかなか心地よい夢を見ていました。
9月になってから気温も8月の頃とそんなに変わらないけど
自分の中で何かが変わった気がした。
ブームというんでしょうか?
昨日まで熱中していたことが
忘れ去られて違うことをしている自分。
自分の意思なのか他力が働いてるのか
たいしたことをしてるんじゃないけど
私は流されているなーと思えてきます。
そして言いようのない不安が
どこからともなく押し寄せてきます。
いったいなんでこの不安というのがやってくるんでしょうか?
特に具体的にあれが原因だとかないのに。
誰かといる時はぜんぜんそんなことないのに
ひとりでいると寂しいせいでしょうか?
このひとりでいる不安って
このままずーっとひとりのまま消えていくという
そんな予感がするからかもしれません。