ゆかちBOX{}


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2006.2.28

気のせいかもしれないけど
私にとって火曜日とはどういうわけか
パワーがみなぎる日なのである。
朝からだんだんとテンションが上がって行き
お昼頃はピークを迎えて夕方になるにつれてダウンしていく。
ただ欠点は自分の威力が増しているので
調子に乗って生意気になったりすることである。
他の人よりテンションが高いので強くなった気持ちになるのだ。
だいたいこの文章の書き方も尊大で私らしくない。
本来の私は控えめな心優しい紳士でなければならないのだ。
(実はもうパワーダウンしてるので今はたいしたことないです)
そんな中で今日は悪事をひとつ見つけたので
それに対しても正義感が燃えて行動的になったのだった。
会社には喫煙室という小さな小部屋があるんだけど
なのにもかかわらずトイレで煙草を吸って
便器にこすりつけて火を消し、そのまま流すという
ふとどきな輩がいたのだ。
これでは便器が汚れるし掃除のおばちゃんが困ることになる。
私は女のコなので決して立ちションすることがないため
小便でも個室にはいるのです。
そしたら喫煙の後の光景がそこに醜くあった。
これからレデイがおしっこをするというのになんたることだ!
私はさっそくこの由々しき事態を総務に報告した。
もしも喫煙してる輩が視界の前に入ったら
その場で粛清してやろうというぐらいの勢いがあった。
トイレの中に連れ込み襟元を掴んで揺らしながら
私の靴を舐めさせるのだ。(それはちょっと違うか)
ここで過去のことを振り返りますと
私の欠点はこの自分の勢いにまかせて
まじでケンカごとになったことがあったので
もうそんな失敗はしたくないのです。
それに今はこの風紀を乱す喫煙者も
私にとっては愛すべき人類のひとりなのですから。
私は怒りを持ってではなく
愛を持ってこの方に注意を促したいだけなのです。
たとえこのお方が係長だろうが部長だろうがそれは関係ないのです。
とりあえずそんなことがあったのとお昼の友達との会話で
黒澤明監督の夢という映画の話になりました。。
私は見たことがないんだけど、町が放射能で汚染されて
死んでいく人達と放射能の影響で鬼になってしまう人達がいて
自分だったらどっちになるだろうという話になりました。
友達はボクはそういう状況になったら死を選ぶと言いました。
ひとりだけ生き残るよりもみんなと一緒に死にたいと言いました。
その時私はこいつはいいヤツだと本気で思いました。
私自身はというと、放射能で力を得て鬼になるように思えたのです。
いや実際には死んでしまうと思うけど
鬼になっても生き残ろうと思ったのです。
こんな私ってどうなんだろう?
私はひょっとしたらひとりになっても生きようとするかもしれません。
こういう話をすると私の周りの人達は
本当に心優しいいい人達ばかりなので
例えば地震になったらとか水爆が落ちたらどうする?とか言うと
「みんなと一緒に死にたい。」と言います。
そんな時も私は心の中で「生き延びてやる。」と思うのです。
私もみんなのように心優しく
一緒に死を選べるような優しさがあったらと思いました。


2006.2.27

私は子供の頃からTVゲームが好きなので
いろいろと遊んできましたが
この年になってやっとあるジレンマを感じるようになりました。
TVゲームの初めの頃ってインベーダーとか
とにかく敵がいてミサイルを打って撃滅するという
好戦的な内容のばかりだったと思うけど
キャラもリアルじゃないので殺伐とした雰囲気には見えませんでした。
でもやってる内容は戦争だったり人殺しだったりで
まぁそんなゲームをあれこれ遊んで特に
何の疑問も持たずにいたのですが
最近はちょっと考えた方がいいのでは?と思えてきました。
江原さんの本を読んでいると例えば
実際に人殺しをしていなくても
「人を殺したい。」と考えることは
人殺しをしてしまった人と同じだといいます。
このことをゲームに当てはめてみて
ゲームの中で人を殺すことは
実際に殺していなくても殺すのと同じだと
そう考えることもできるのでは?と思いました。
ゲームは娯楽で所詮暇つぶしだとか言えばそうだし
何もそこまで考えることはないんじゃないか?という気もします。
でも影響力が全くないわけじゃないので
危険ではないとは言い切れません。
なんか奥歯にものが挟まったような言い方しかできませんが
今までのことは仕方がないとしても
これからゲームを開発する会社は
そのへんをよく考えて心に優しいゲームを作るべきだと思いました。
例えばお年寄りに親切にするゲームとか。
もしこういうゲームが出たとしたら
つまんないからきっと売れないとは思いますが
もういい加減、戦争とか戦いのゲームは古い感じがします。
RPGだってモンスターを剣や魔法で攻撃して殺して
それで自分の経験値を上げていくので
これだって立派な殺戮ゲームだと思います。
そんなことを言っていたらほとんどのゲームは
発売できない状態になってしまいそうですね。
それだけゲームっていまだにそういうのが多いんです。
そんなこと偉そうに言う私もまた
戦争ゲームで人殺しをするんでしょうけど
こんなことでいいのかとまた考えるでしょうきっと。


2006.2.25

私、お休みの日でも朝は割と早めに起きるので
朝食、昼食を普通に摂っているのですが
平日との大きな違いは家にいる時に限定して
よくお昼寝してしまいます。
早い時はお昼を食べてからすぐ寝て1時間ぐらい。
夕方の3時とか4時から寝ることもあります。
私は1週間に1回ぐらいホルモンの薬を飲んでいるんですが
これの副作用として眠くなるのとちょっと体がふわふわするのと
いつもより体が冷えて寒く感じることがあります。
手の先っちょとかがちょっと痺れる感じがあるので
たぶん血行が悪くなっているのかもしれません。
いいことは気持ちが和らいでリラックスすることかな。
なので薬は仕事に影響しないように金曜日の夜に飲むことにしています。
先々週は風邪だったのでしばらく薬はお休みしていたのですが
金曜日に飲んでみることにしました。
そしたら久々で効いて気分が良くなりました。
薬を飲んだ時はいつもより疲れやすさと眠気があるので
今日は3時ぐらいから5時までお昼寝しました。
日中はPHOTOページ用の写真を選んでいたのですが
本音を言うとどれもいい感じなので選ぶのに緊張しました。
HP容量にも限界があってどれを越すと料金が上がるので
なるべく枚数を減らす方向で取捨選択しなければなりません。
この作業をしてるとけっこう疲れるんです。
最近はこの日記のページにいろいろ書きたいと思うことがあって
そのことも書くネタを調節するのに緊張します(笑)
日記なので何かしたことを優先して
その次に私の思想とか趣味の話とかを・・と考えているんですが
本当は怖い宇宙の話とかを書きたくてしょうがないのです。
話を戻すと今日の夕食は家族でリンガーハットに行きました。
実は私はこのお店がおいしいから好きです。
子供の頃は野菜とか海鮮物が嫌いだったので
ちゃんぽんは食べれるところが少なくて大嫌いでしたが
今は何でも食べれるし野菜とかは特に好きなので
ちゃんぽんはご馳走なのです。
しかしひとつだけ苦手な物が入っていました。
それはゲソで私はイカの足の部分があまり好きじゃないのです。
そしてこの頃の私は体重が60kgになり
ほんわりと太ってきてよく食べるようになりました。
以前だったらちゃんぽんだけで他は食べれなかったのに
今はちゃんぽんとチャーハンを食べないと気がすみません。
私はいつのまにか食い意地が張ってきました。
平日のランチもご飯は必ず大盛にしていますから。
で本音を言うとギョーザも食べたかったのですが我慢しました。
隣の家族連れに小さな女のコがいて
最初は気にしていなかったけどかわいらしいことに気がついて
その子と目があった時ににっこりと笑ってくれたので
私は思わず涙が出そうになりました。
この一瞬の間に全ての生きる人達の幸福を祈りました。
それまで私は食べることだけに集中していて
恥ずかしいぐらい楽しんでいたのですが
こういうところにも菩薩様がいて
私の人生に影響を与えてくれるんだなぁと思いました。
私はこのお方がこれから無事大きくなって
幸せになって欲しいと思います。
このお方だけじゃなくて全ての人達が。


2006.2.24

今日はすごい夢を見てしまいました。
私の家ではないどこか仏壇のある部屋に
仏像があったのですが、それを見ていたら
なんと仏像の目と口が開いてニコっと微笑んだのです。
最初は正直ちょっと怖かったのですが
だんだん私も嬉しくなってきました。
仏像が夢に出てきたのは初めてです。
それから場面が変わってどこかの部屋に
会社の同僚の女のコがベッドで寝て
私が床に敷いたお布団で寝ていたのですが
何か得体の知れない黒い影が女のコの方に
近づいてきたのでそれを阻止しようとしていました。
私の深層心理でその人がへんな霊に憑かれているのではないかと
思っていたことが出てきたような気がします。
もしかしたら私はその人を救わなければ
ならないのかもしれません。
2番目の夢は怖かったのですが
仏像の夢の衝撃の方が強かったので
目が覚めた時は幸福感で満たされていました。
これほど幸せな気分になるなんて
もしかしたらあの仏像は神様だったのかもしれません。


2006.2.23

なんか最近訳もなく嬉しくてはしゃいでいます。
今年の冬はとっても寒い日が続いていたから余計に
こうして暖かい春の季節が近づいてきたことが嬉しいのです。
四季は毎年当然のように巡ってくるように思われますけど
もしかしたら異常気象とか地球の公転がズレて
ずっと寒い季節のままになるかもしれません。
こうしてまた暖かい季節になってくれることが
当たり前なことだとは思えないからありがたさを感じます。
こんなことを考えるようになったのも
宗教とか江原さんの本とか宇宙の話とか
いろんなことから影響を受けて
自分が健康でいられるのも、みんなが元気でいてくれるのも
地球が私達をしっかりと抱きかかえて回っていてくれるのも
偶然ではなくてちゃんと意味があって
そうなっているんだなぁと思えるようになりました。
私にとっては大きな成長だと思います。
そんなことも含めて意味もなく嬉しいんだと思います。


2006.2.22

今日服屋と本屋に寄り道しました。
ジャケットを探しに行ったのですが
やっぱりレディスはサイズが小さくて着れないので
もうメンズものでいいやと思いました。
なんで女の人はこんなに小柄なんだろう。
私なんて顔だけが女っぽいけど体は男なので
傍から見たらおかしな人間なんだろうなー。
それでメンズのジャケット(Mサイズ)をあれこれ着てみたら
これがジャストフィットでやっぱり私は男なんだと痛感しました。
もう春物は出ていますが気に入るのがないので
値下げしている生地が薄めの冬物を買ってきました。
無理してパンパンな着膨れになるレディスよりも
この方がずっと快適で良いです。
本屋では宇宙の本を探してみました。
このところ私の興味の対象は
宗教とモーツァルトとブラックホールなのです。
ブラックホールといったらアインシュタインなので
一般相対性理論の本とそれだけじゃ色気がないので
写真と図解がたくさん載っている宇宙の辞典を買いました。
寝る前にモーツァルトを流してこういう本を読みながらうっしっしするのが
たまらなく楽しい一時になるのです。
考えてみたらクラシック音楽は宇宙をイメージさせるものもあって
宇宙との相性が良いのです。
中でも好きなのはヨハン・シュトラウスの美しき青きドナウで
この曲はドナウ河のイメージで作られたのだと思うけど
無機質な宇宙を優雅に漂っている趣もあります。
私は朝の通勤の時によくこの曲が頭の中でかかっています。
あとお風呂でくつろいでいる時とか・・


2006.2.21

諸行無常という仏教の教えがありますが、
世の中の一切のものは常に変化し生滅して、永久不変なものはないということ。
形のある物質はいつかは壊れていきます。
私という人間、家、私の存在した国・・・星。
素晴らしいモーツァルトの音楽があるけど
これもいつかは無くなって消えていくのでしょうか?
銀河系の中心にあるブラックホールはやがて
全てのものを飲み込んでいくと思いますが
その日が来るまでこの星は、人間は生きていられるんでしょうか?
それまでに私は当然死んでいなくなっているでしょうけど
その後に続く人の世界はずっと続いて欲しいと思いました。
モーツァルトの音楽もずっと残っていて欲しい。
そう思うとブラックホールに飲み込まれていくという
運命がどうしても納得がいきません。
私は光を好んで闇を怖れていましたが
その究極的な闇がブラックホールだと思いました。
でもブラックホールがあるから銀河系の回転運動があって
その影響で私達が生まれたのかもしれないのです。
生まれて死んでいく世界。
人の生と死と宇宙の生と死は似ているなぁと思いました。
私達は物質的には命を無くしますが
精神的に生きる力の前には
対外的な脅威はないのかもしれません。
ブラックホールも台風や地震、津波などの自然の脅威と同じなのでしょうか?
宇宙的規模の超自然的な現象?
私が夢で見たある超絶な光景は
真っ赤な太陽みたいな巨大な星が何千個と誘爆して
辺り一面が真っ白になるまで花火のスターダストみたいで
凄まじい大破壊が起こっているのですが
それを仕掛けたへんなやつがいて
そいつはもしかしたら神さまなのかもしれないけど
そういうことをして遊ぶこと自体
何か邪悪なものを感じたのでした。
その大破壊の後に重力崩壊が起こってブラックホールが生まれ
ひとつの銀河系が誕生して地球のような星が誕生して人間も生まれます。
宇宙に同じ元素、同じ星が存在するから
当然人間のできるパターンもあって
この銀河系や他の銀河系にも人間はいるでしょうね。
そして私達の魂はそれらさえも超越して永遠に生滅を
繰り返していくのでしょうねぇ。
今こうして奇跡的にこの星で出会えたことは
さらに深まって偶然ではないことを思い知りました。
それは他のものすべてが愛しく感じられる瞬間です。


2006.2.20

だんだん気温が暖かくなってきたので
ジャケットが欲しいと思って見に行きました。
何着か羽織ってみたんですけど
私もともと肩幅が広くて上半身が立派な上に
冬の間に太ったのでどれもキツイんです。
2Lというサイズでさえ着るとパンパンになるので
こんなの無理して着ても仕方ないやと思ってあきらめました。
どうして婦人用の服はこんなに小さいんだろ。
かといって紳士物のジャケットはかっこ悪いので欲しくありません。
もうちょっと頑張って探してピッタリの服を見つけたいと思います。

なかなかムチムチなボディでしょ?

私の肉体や二の腕が太かろうが
そんなことよりももっと恐ろしいことがあるのです。
宇宙のことはわからないことばかりで
考えても仕方がないように思えますが
私達の太陽系を内包する銀河系(天の川)の
中心には太陽の数十億倍の質量を持つ
超巨大ブラックホールが存在していてさらに
その周りにも1万個のブラックホールがあるのだそうです。
ブラックホールなんて相対性理論が生んだ計算上のもので
信じていて研究している人もいれば信じていない人もいます。
私だってそんなこと言われてもわかんないのですが
ふと銀河系の渦のことを思い出してみると
お風呂の排水溝に似ているなと気がつきました。
排水溝のところがブラックホールにあたり
栓を抜くとぐるぐると円を描きながら水は吸い込まれていきます。
銀河系の渦はそういう感じでできてるのか?と思った瞬間、
銀河系の中心にはブラックホールがあるっていう話納得できました。
ということはいずれ全ての星は真ん中に向かって
飲み込まれていくということなんですね。
くわばらくわばら。
銀河系の他のアンドロメダ銀河とかマゼラン星雲などの
ぐるぐるした銀河の中心にもブラックホールがあるということですね。
実体を持つ恒星や宇宙船、人体などは
ブラックホールの超重力によって素粒子レベルまで
バラバラに破壊されてしまうらしいのですが、
果たして人が死んで霊魂になった場合はどうなんでしょう?
霊魂がどれぐらいの速さで飛べるのかわかりませんが
磁気とか電波のようなものだとすると(X線とか?)
光の速さで宇宙を駆け巡ることができるかもしれません。
地球から銀河系の中心まで2万6千光年離れているので
霊魂が銀河の中心まで行こうとしたら
光の速さで飛んだとしても2万6千年かかってしまいますが
人間の体のように寿命がなければ可能でしょうね。
でもそっから先が問題で霊魂は果たして
ブラックホールの影響を受けるのでしょうか?
光も吸い込んでしまうのでひょっとしたら
霊魂はブラックホールに捕まったら引きずりこまれるかもしれません。
そのようなことを考えていたら光り輝く恒星こそが神で
その神の生んだ分身達を抹殺してしまう存在が
ブラックホールなのではと思ってしまいました。
人の魂も所詮エネルギー物質なのだとしたら
その可能性があるように思えてきます。
果たして私達を完全に滅ぼしてしまう
存在があるのでしょうか?


2006.2.19

ようやく重い腰を上げて写真の更新作業に取り掛かりました。
撮って放置してあった写真がたくさんあるのですが
チェックしてみて思ったのは載せれるような写真が少ないこと。
私も写真写りがほんとに悪くなったもんだ。
特に表情がよくなくて無表情だったり愛想笑いだったりで
その場の雰囲気が伝わってしまいます。
写真ってほんとに楽しい時は表情がいきいきするけど
ただ撮ってるだけのときは仏頂面になってるんですね。
(撮ってもらっといて文句言うのもなんですけど)
そのへん私って心の状態がモロに顔に出るので
嘘がつけないと思いました。
ほんとに楽しくていい写真ならいいんですけどねー。
理想的なのはやっぱり好きな人とか
恋人に撮ってもらうと表情もいきいきしてきますよね。
そんなことを言うのは贅沢だってわかってるんですけど・・


2006.2.18

今ハチミツレモンを飲んでいます。
レモンをぎゅっと絞って蜂蜜をお湯に溶かしたもの。
蜂蜜って日頃はあまり摂る機会がなかったけど
今回風邪をひいてよく母に作ってもらいました。
風邪の時って味覚が悪くなるので
何を食べてもおいしく感じられない(味がわからない)のですが
不思議と果物はおいしく感じられました。
それもいつもよりもさらにおいしかったです。
中でもレモンは酸っぱくて栄養がありそうで
風邪の時はこれが効きそうに思えます。
そこへ蜂蜜を入れるのですが、この蜂蜜って
ちょっと独特の匂いがします。
蜂蜜はミツバチさんが花から巣に運んできた蜜ですが
お口に入れて糖分に分解するとのことで
ミツバチのよだれが入ってるから
このへんな匂いの原因になるのでしょうか?
よだれだろうがなんだろうが栄養がある
ありがたいものなので感謝しないといけません。
私は今まで蚊にはよく刺されるけどハチには刺されたことはありません。
ハチは誰かを刺すとおしりの針が抜けて死んでしまうので
刺すのも命がけの筈だからよっぽどのことがあったから
刺しているんでしょうね。
ハチが飛んでいると確かに怖いですけど
何もしなければ近寄ってこなかったと思います。
クモとか蛾とかハチとか恐れられている虫がいますけど
じっとしているのを見ると綺麗だし可愛いものです。
そんなミツバチが運んでくれたこの蜂蜜が
私の体にも栄養を運んでくれるなんて
なんか愛を感じて嬉しくなってきます。


2006.2.17

先週ぐらいだっけ、モーツァルトのCD曲集を買って
お部屋でも車の中でも毎日毎日聴いているうちに
これがすっごくハマって心地よくて、気に入っちゃいました。
初めはモーツァルトはかったるいと思っていたのに
優しくて楽しいメロディーでふんわりと暖かい毛布にくるまれているような
私にとってなくてはならないものになってきてしまいました。
今、特に恋をしているわけじゃないけど
ほんわりと恋をしているような気分にさえなってきます。
モーツァルトの曲は明るい曲が多くて暗い曲が少ないです。
中でも今気に入っているのは
フルート四重奏曲第一番の第一楽章です。
これを朝聴くとテンションが上がってきて
フルートの音色に合わせて口笛を吹きたくなるほどです。
気持ちよくなりたい人にはモーツァルトおすすめです!


2006.2.16

今日は仕事をお休みして人形のように眠っていました。
熱はなかったのですが薬のせいで
思考がひとつのことに縛られて、こだわりの夢の中にいました。
恐ろしかったのは・・
私は観覧車に乗るだけで背筋がすーすーして凍る思いをするほどの
高所恐怖症なのですが、夢でよく高いところにいることがあります。
そういうときに強い風が吹いてきたり揺れたりして
必ずといっていいほど高いところから落ちることになります。
今日はそういう怖い夢を2回も見てしまって参りました。
1回目はどこかの建設中の巨大なタワーからおっこちる夢で
2回目はどこかの団地(私の住んでるとこだったらしい)で
6階ぐらいの高さだったと思うけど
通路の両端には塀がないので危ないのです。
おまけにここの住人達の中に暴れる人がいるので
その人がジャンプして穴をあけた床などがあり
私はその危険な通路を歩いて自分の部屋まで戻ろうとしてる
途中でおっこちたのでした。
高いところ→必ずおっこちる、というのがお約束になるのです。
私はそうとう高いところが恐ろしいんだと思います。
実はエレベーターに乗るときも必ず
落っこちるんじゃないだろうか?と考えてしまいます。
地上40階とかの高さのエレベーターになんか乗ったら
そうとう恐ろしい思いをしています。
でもよくよく考えてみたら普通にしてればいいのに
そういう強い脅迫観念があるせいで
高いところにきたら「おっこちなきゃ!」って思ってるのだと思います。
だから毎回おっこちてるんだと思います。
この恐怖症を克服するにはどうしたらいいのかな?


2006.2.15

今日もお薬のせいでかなり眠いです。
夕食後に飲んでしばらくしたら
もう眠くてしょうがなくなりベッドで気を失いました。
マンガを読みかけだったのでそれを片手に持ったまま。
起きるのがイヤだったのですが
このままでは何もできないのでお風呂に入ってきました。
なんか突然暖かくなったのでへんな感じがします。
春が近づいているのを感じてわくわくするのですが
また寒くなったらいやだなぁと思います。
もう冬の寒いのは飽きました。
本音を言うと冬はなくてもいいです。
そう言っていてもまた季節はひと回りしてきて
明日からまた冬だとかになるかと思うと寒気がします。
冬が嫌いでイヤな分それ以外の季節を
たっぷりと楽しみたいと思います。


2006.2.14

昨日もらったお薬はけっこうよく効いているのですが
その分副作用もあって、それは眠気です。
今朝起きる時はかなり眠かったです。
それとお昼ご飯の時に薬を飲んだので
3時ぐらいはかなり眠くなりました。
本来だったら病気を治すには寝た方がいいので
薬を飲んでじっと眠るのがいいのでしょうね。
そんなわけで今も眠いので今日は早く眠ることにします。


2006.2.13

昨夜はまたへんてこな怖い夢を見ていました。
通り道にある廃墟となった小さな医院に
女の幽霊のようなものが出るのです。
それは気味の悪い存在でした。
姿形はのっぺらぼうの青い顔をして
看護士の服装だったと思います。
私はその女性のことを知っているような知らないような
夢の中では誰かわかっていた筈なのに
起きてからそのことが全く思い出せません。
幽霊だったら関わらなければいいのに
私はなぜかその廃墟に入ろうとしていました。
そんな夢にうなされたせいもあってよく眠れずに
そのまま会社に行きました。
まだ風邪も治ってないので体調もよくなくて
早退しようかと思ったけど定時まで持ちました。
それから内科に行くことにしたんですが、
私には掛かりつけの内科が2件あって
1件は子供の頃からずっとお世話になっているところ。
そこの先生はもういいお年のおじいちゃんですが
注射を打つのは上手だし何かと経験豊富なお方です。
もう1件は若い先生ですがとっても真面目ないい先生。
今年のインフルエンザの予防接種はこの
若い先生に打っていただいていたので
そこに縁を感じてこちらの内科に行くことにしました。
そしたらすごい満員で風邪がはやっているのを思い知らされました。
昔はそれほどでもなかったけど
最近は待合室でもみなさんきちんとマスクをされていますね。
なにしろインフルエンザの患者さんだってみえるでしょうから
院内こそ油断できない危険地帯です。
けっこう待ってから名前を呼ばれて診察室に入っていくと
先生は私のことを覚えていらっしゃるような表情をされました。
私もちょっと特徴のある患者ですからね。
私は自分の風邪のいきさつを簡単に喋って
熱の上がり方からインフルエンザの可能性は低いけど
念のために検査しておきますか?と言われたので
していただけるようにお願いしました。
そしたらいきなり鼻に長い綿棒をヌスーと入れられて
ちょっと気持ちよくなかったですが平気でした。
検査は15分かかるとのことでまたしばらく待って
結果は普通の風邪でした。
その時は嬉しかったので思わず「よかったー!」と言ってしまいました。
先生は明らかにヘトヘトに疲れている様子でしたが
その疲れの中でも笑顔が素敵で
その時に「仏様の笑顔だ!!」と思いました。
受付時間をとっくに過ぎていても
後から後から来る患者さんを受け入れているのです。
この先生は本当に人のために一生懸命なのだと思いました。
家に帰って夕食を食べてから内科で処方された薬を飲むと
いっぺんに全ての症状が和らいで楽になりました。
それまでいろいろ市販の薬を飲んできたけれど
やっぱり一番効き目があるのは内科の薬です。


2006.2.12

風邪で熱のある時ってとてもへんてこな夢を見ます。
だいたい何かひとつのこだわりから抜けられない
時間の進まないような夢が多いです。
それはとても辛くて不愉快な感覚です。
もしかしたら成仏できない霊はこのような
悪夢の中に閉じ込められているのかと思いました。
私の場合は目が覚めれば悪夢から逃れられますが
霊は肉体がないので逃げ場がありません。
夢の中でひとりの女の子が出てきました。
その子は他の人と仲良くすることができないというので
私はその子の傍にずっといました。
思い出してみるとなんか意味があるようで
ないようなよくわからない内容でした。
私は夢を見た時はそのことを思い出して
いろいろと考えてしまいます。
今日最初に起きた時は熱が37度でした。
汗で下着とパジャマが濡れていたので着替えて
また眠ることにしました。
次に起きた時は熱が36.9度でまだまだだなぁと思いつつ
お昼ご飯をとるために起きました。
それから風邪薬を買いにドラッグストアに行きました。
薬を探していたら薬剤師のおじさんが
「何かお探しですか?」と近づいてきたので
風邪薬で初期症状じゃなくて真っ只中で
効くものってありますか?」と聞きました。
それで勧めてもらったのを買ってきました。あとマスクも。
そしたらヤバイことに気がついたのですが
私が会社でつけていたのは花粉用のマスクだったみたいで
それと同じ使い捨てタイプで風邪用というのがあたんです。
同じ値段で花粉用は15枚入り、風邪用は7枚入りなので
花粉用では風邪菌は防げないんでしょうね。
家に帰ってさっきのおじさんのことを思い出したんですが
ああいうところで何気に親切にされて(仕事でしょうけど)
そのことを考えていたらひとつのことに気がつきました。
神様はどこにいるんだろうという疑問に
神様というのは自分の周りにいる人達で
自分を救ってくれたり励ましてくれたり厳しくされたり
いろいろと影響を与えてくれる人がそうなんじゃないか?ということです。
だから神様はあの世にいるとかそういうつかみ所のない
ことを考えるより健全に思えました。
だから私が他の人にとって役に立つのなら
私がその人の神様になる時もあるということです。
仏教で言えばここで言っている神様は菩薩様ということです。
そのようなことを考えながら夕食を食べていたら
じゃこ(小魚)50匹ぐらいと鶏肉、ソーセージと
どれも生物が犠牲となって私に食べられるのです。
彼らの捧げた命で私は生かされているんだなぁと思いました。
それが気の毒だと思ったらベジタリアンになればいいじゃんと言うかもしれないけど
食べなければ私は無実だとかそういう発想じゃなくて
私にとって必要だからあなた達の尊い命を食べさせてもらいますと
思えるからそれが大事なんじゃないかと思いました。


2006.2.11

風邪をひいてしまいました。
随分前から会社でゴホゴホやっている不摂生な太った人達から
風邪菌をもらわないようにマスクで防御してたのですが
あれって予防としてもたいした効果がないみたいですね。
それで早めに治そうと思って昨日一番乗りで病院に行ったのですが
運の悪いことに祭日で休みだったのです。
土曜日が祭日の日というのはロクな日じゃありません。
しかたないので市販の薬を飲んでおきました。
今回インフルエンザだったらどうしよう?と思ったのですが
今年も予防接種をしておいたのと、熱が最高で37.5までなので
たぶんただの風邪だろうかと思います。
今は熱も下がって37から36.9の間を行ったりきたりしています。
仕事が忙しくて休めないので早く治さないと・・・


2006.2.9

心のバランスがだんだんと善から悪に傾いていくのがわかりました。
人前ではそんなそぶりは見せない善人面を装っていますが
家に帰って自分の部屋にひとりでいる時は
「ケケケケ」と笑っています。
こういう感覚は以前にも経験があったようです。
これはきっとなんかの霊に取り付かれている可能性あり。
神の子である私を陥れるために派遣されてきた邪悪な霊。
風邪の菌がついたのかもしれません。
こういう時は活動的になると裏目に出るので
おとなしくしているのが無難です。
心が善人すぎるとシーソーのように傾いた時に悪に染まる。
だからなるべく真ん中へんをふわふわしているのが理想です。
しかしながら実際に「ケケケ」と笑う人はいるんでしょうか?
これはマンガ特有の笑い方ですが最近のマンガは
読んでないのでこういう笑いをするキャラがいるのかわかりません。
去年買った「魔太郎がくる」というマンガの中で
切人(きりと)という赤ちゃんが出てくるのですが
そいつが初登場の時から「ケケケ」と笑っていたのでウケました。
それ以来私は「ケケケ」ファンになったので
調子がいい時はこうやって笑っているんです。
この笑いも「ケッケッケ」とか「ウケケケ」になると
著しく品が低下するのでしっかり「ケケケ」と笑いましょう。


2006.2.8

このところちょっと仕事が忙しいので
今頭の中がからっぽな感じなのですが、
仕事が忙しい方が不思議と頭を使うせいか
いろんなことを考えて日記もよく書けるようになります。
でもさすがに今日は疲れました。
昨日テンションが低くなったわけはいろいろありますが、
会社の組織の中の自分というのはちっぽけなので
それが面白くないというのが原因だったと思います。
別にでっかくなりたいという欲があるわけじゃないけど
小さいと思い知らされるのは面白いことじゃありません。
そう思うとここは私の城で言いたい事がなんでも言える場所です。
ほっとする場所ですね。ここは誰にも口出しできませんから。


2006.2.7

なんか久々にテンションダウンでネタが浮かびません。
おととい部屋でパチパチ聞えたのは
部屋の温度変化による木材の膨張収縮の音だったんでしょうね。
普通に考えればなんてことないのに
人間(私)の空想力はそれを霊の音だと思ってしまいます。
当時者だった私はそのことにモロに直面してびびっているのですが
こうして数日後の私から見ればその時の私は
第三者として見ることができ冷静に物事を考える余裕があります。
霊は本当にいるんでしょうか?
私はそのことについて霊を実際に感じる人もいるってことは
理解しているし頭ではいるってわかっているんだけど
本当のところどうなのかはまだよくわからない。
UFOとかと同じで実際に見るなり体験しないと
机上の空論というか知識としてわかるだけだけど。
こういうちょっと気持ちがすさんでいる時は
ロマンチックなことを考える余裕さえないのですね。


2006.2.6

昨日は寝る前に美輪明宏さんの「霊ナァンテコワクナイヨー」
という本を読んだのですが、これが間違いでした。
この本を買ったのは半年以上前だったのですが
途中まで読んだままその存在を忘れていて
ここのところ私の中で心霊ブームになったので
ふと本棚に並んでいるのを見て思い出したのです。
昨日は友達に借りていた「人間池田大作」を読み終わって
その勢いでこちらも再び読むことにしたのでした。
ベッドにうつ伏せになって、おやすみモーツァルトを聴きながら
まったりと読んでいたつもりが、だんだんと内容が怪しくなっていき
美輪さんのまったりとした可愛らしい文章からは予想できなかった
恐ろしい話が出現したのです。
それは次々と死人が出る家の話でした。
その家の主人と交際をしていた女性(美輪さんの友人)にまでも
呪いがついて彼女は生気を無くして死にそうになり
それを阻止しようとした美輪さんまでもが危険な目に遭った話でした。
思い出してもちょっと寒気がするので
今夜はこの本を手に取る勇気がありません。
この本はそのへんの怖い本よりかなり怖いと思います。
私はそのくだりを読んだ頃に1時を過ぎていたので
寝なければと思い部屋の電気を消したのですが
それから嫌なことに部屋のあちこちで「パキッ」「ピシッ」
とへんな音が鳴るのが聞えてそれがなかなか鳴り止まなかったのです。
私はそのまま「おやすみモーツァルト」を流していたのですが
音楽が流れていてもまるでそれを聴いているかのように
頭の後ろの壁でさっきの音が鳴っていました。
これはひょっとすると霊の仕業かもしれない?と思いました。
美輪さんの本を読んだからその影響で霊が私のところに
きているんじゃないかしら?と思いました。
そしてモーツァルトの音楽につられて
周りでピシピシやってるんじゃないかと思ったんです。
私が一番感じたのは私が高校の頃に自殺したおじさんのことでした。
自殺した人の霊は成仏できずにさまよっているように思えるのです。
私は正直言うとそのことをたまに思い出しては恐れています。
そういったわけで私は辺りが気になって
頭は覚醒してしまいました。
それでなかなか眠ることができなかったのですが
朝方新聞屋さんのオートバイの音が聞えた時に
まだ覚醒してる感じがあったのだけれど
実は寝ていて瞬間的に目を覚ましたのかもしれません。
なので今日は寝不足だから眠くなると思ったのですが
不思議なことに眠くなることはなく今でもシャキッとしています。
ということは短時間だけどスーパー熟睡できたからなんだろうか?
私は毎日必ずといっていいほど夢を見るんだけど
昨日はまったく見なかったです。


2006.2.5

部屋にいる時に心を落ち着かせてくれる何かいい音楽はないかな?
と探しにいったところモーツァルトのばかりが10枚セットのCD
を見つけたのでそれにしました。
今年はモーツァルト生誕250年記念ということで
こういうものが企画されてるみたいですけど、
もともとモーツァルトの音楽はリラクゼーション効果があるとか
何かの本で読んだことがありました。
でも刺激の好きな私にはちょっと物足りないところがあって
モーツァルトの曲はそれほど興味がありませんでしたが
この際、食わず嫌いはよして聴いてみようと思ったのです。
最近の世間での流行を私なりにキャッチしたところ
物質だけでは満たされない心の飢えを癒せるような分野のものが
目立ってきているように思います。
具体的にはアロマテラピーとかクラシック音楽とか
心の問題をテーマとした本など、それに
細木数子さんの番組が流行るのも
みんなが心の問題に関心を高めているからだと思います。
それというのも戦争や異常な殺人事件、犯罪など
正常とは思えないような事件がたくさん起こるから
みんなの心が疲れてどうにもならなくなって
きているような気がします。
私は心の問題に関心が集まるのはいいことだと思うので
これが一時のブームにならずに
これがずっと繁栄していってくれたら
人の将来は明るくなっていけると思います。
これからは本当に心の時代が来るような気がします。


2006.2.4

今日父とハンバーグを食べに行きました。
私はこの頃大食いなのでご飯を大盛にしてるのですが
今日はちょっとお腹がいっぱいで「しまった」と思いましたが
なんとか全部食べきることができました。
でもそれからお腹が苦しくてやばかったです。
家に帰ってからも苦しいので音楽を聴きながら
ベッドに仰向けになって寝ていました。
話をちょっと前に戻すと、注文してから食べ物が届くまでの間に
父に「平日はなにしてるの?」って話しかけていました。
父は定年なので仕事はしていません。
月曜から金曜日まで何をしてるのか聞いてみました。
そうしたら毎日午前中はラジオ体操と運動をして
外に散歩にいって帰ってくるとお昼で
その後は火曜日は友達と碁をやって
水曜日は母が生け花をやってるので
教室まで車で送ってそれからは温泉施設で
30分ぐらい歩いてるのだそうです。
木、金曜日の午後からはTVで映画を見たりとのこと。
「なんかやりたいことないの?」って聞いたら
運動をもっとしたいけど、体力が減ってきているので
昔みたいにやりたくてもできないと言われました。
年とともに年齢に合った運動をしていかないといけません。
いつも朝の通勤の時にウォーキングをしている
お年寄りをよく見かけますが、みんななんだかんだで
体を動かすようにしているみたいですね。
「そうでもしないと暇で仕方ない。」と父は言いました。
私はなんだか悲しくなりました。
65歳まで仕事をして税金を納めて
定年になったら「これからは好きなことしてください。」って
年金と自由な時間をもらえるんだけど
肝心な人生の目標とかは与えられないから
自分で探すしかないんです。
中には一生懸命打ち込んでいるお年寄りもいると思うけど
けっこうたくさんの人が暇な時間をただ過ごしているのかと思うと。
人生は65歳でおしまいなんじゃなくて
常に前に進んでいける何かがあるはず。
それを自分で探すことって難しいかもしれません。
だから国の機関とかがもっと発達して
魂を磨いていけるような学習とか
何か新しい目標を迷える人達に与えてくれるような
そんなシステムがあったらいいと思いました。


2006.2.3

今日は節分でしたね。豆を食べるの忘れていました。
どっちかいうと私の方がオニかもしれないと今日は幾度か思いました。
まず歯並びが八重歯があって凶悪なのと
子供の頃にアリを殺したのとヘビに石を投げつけたことがあり
そういう残虐なことをする心があるのは確かです。
あと口に出さなくても人の不幸を望む時もあります。
上の写真なんか見てると何を考えているのかわからない
恐ろしい雰囲気が漂っているように見えます。
もしかしたら人によっては私はオニに見られているかもしれませんね。
さっき書いたアリを殺したことなどは
いつまでも忘れることができなくてこうして何度も思い出します。
人を殺した人はもっと苦しい気持ちを味わっているのでしょうね。
そう思うと殺したことは罪ですが、その後のその人は気の毒です。
今日は仕事の友達と帰り道を歩いていてそこは私の通勤の道なのですが
途中に飛び降り自殺のあった赤い橋があって
そこで私は「ここで前に自殺があったんだけど、霊とか見える?
私は霊感がないからぜんぜんわかんないんだけど。」って聞いてみました。
この道は夜遅くなるときは11時過ぎとかもひとりで歩くんですけど
そんなに気にはしたことがありませんでした。
そしたら「霊が見える人というのは正常な人ではなくて
生命力が低い人」というような話になり
それは地獄界、餓鬼界、畜生界にいる人に見えるということでした。
私はそれは死んでから行く世界のことだと思っていたんですが
生きている時に人は10段階に分かれたそれぞれのレベルにいるということです。
人間と霊が同じレベルの時に波長を捉えやすいので見えるらしいです。
それはなんかわかりやすい感じです。
畜生界とかけっこう辛そうな次元にいる人に
霊が見えるなんてそれは気の毒だなぁと思いました。
考えてみたら霊が見えることって愉快なことではないと思います。
それから死ぬ時に何を持っていけるかという話になって
当然ですがお金や車、家などの財産は持っていくことができません。
持っていけるものは2つでそれはいいことをしたことと悪いことをしたことだそうで
とりあえずそれを聞いてさっき書いたアリを殺したことは悪いことなので
このことを死んだ時に持っていくのかなぁと思いました。
自分を裁くのは地獄の閻魔様でも神様でもなくて
自分自身が一番よく自分の悪事を知っているので
常に自分を苦しめて裁くことになるのです。
嘘をついたりとか人を騙したりとか人を傷つけたりとか
ほんとに悪いことをすると自分の魂を傷つけるので
そういうことは絶対にしないほうがいいと思います。


2006.2.2

私はこう見えてミーハーなので
ヤフーの書籍売上ランキングとかに上がっている
みんなが読んでいるような本を読みたくなります。
その中で「人はなぜ生まれいかに生きるのか:江原啓之著」
に興味を持って書店で購入して昨日で読み終わりました。
この作者さんは本当に霊視が出来る人のようで
その内容からリアルさというか臨場感が伝わってきました。
初めのうちは作者の自伝的な内容で面白かったのですが
後半にいくと遠まわしに排他的自己評価な内容で
ちょっとついていけない感じがしました。
この本は霊を信じようが信じないがとにかく
霊は存在するということが当たり前なこととして話が進んでいきますので
それを受け入れないと読んでいくことができません。
私としては霊感がまったくないけど
直感でそういうことはあるだろうなとは思えるのですが
霊感のない人にとってはいくらそうだと言われても
やっぱりわからないものなんです。
ただそういうものが見えるとか感じる人がいる
ということは信じてあげることができます。
今回私がこういう本を手に取ったのは
日頃から興味のあるテーマだからです。
仏教では輪廻転生で人間は何度も生まれ変わって
勉強をして魂のレベルをあげていくということで
(お釈迦さま自身の説法では死んでからのことは
ノーコメントだったそうですが)
心霊学では人間が死んで霊魂になった時に
魂のレベルに応じて行く世界が分けられて、
中には死んだことに気がつかなくて
地上をいつまでもさ迷う浮遊霊になるとかあるそうです。
私もなんだかんだで死後のことを気にしてるんでしょうね。
だからそういう誰も証明できないことを知りたくなります。
必要なのは魂を進化させて神様に近づくことで
誰もが神様になるためにこの世に生まれたり
あの世に生まれたりを繰り返していくそうです。
私としてはそんな畏れ多いものになろうとは思いません。
魂は電波のようなピュアなエネルギー体で
精神性が高い人ほど純度が増すということです。
もしかしたらお腹の中で胎児が生まれた時に
最初は魂が入っていなくて
途中でその胎児の肉体に魂が降臨するのかもしれませんね。
このようなことを日頃からいろいろ考えるので
こういう本の存在はそれはそれで嬉しいものだと思いました。


2006.2.1

家に帰ってご飯を食べてる頃にTVでマンガ日本昔話がやりだして
それを父が見ていたので
「これだいぶ前のだけど、またやってるんだね?」って言ったら
半年ぐらい前からやってると言いました。
そうだったのか、私は全然知りませんでした。
もしかしたらいつも見ていたのかな?
私はもう食べ終わって自分の部屋に戻るタイミングなので
お茶を持ってそのまま部屋に入りました。
そんでTVのことが気になったのでぼちっとつけてみたら、
おじいさんが主役の話で
そういえば昔話っていうのはおじいさんが主役の話が多かったことを思い出しました。
考えてみたら今のドラマや映画で老人が主役になることってそんなにありませんね。
それがかえって新鮮で哀愁が漂っていていいのですが、
おじいさんというとおばあさんに先立たれていて
ひとりぽっちで暮らしていて自分もそろそろお向かいが来るとか
そういう寂しいシチュエーションになってしまうので
それを見ているとなんでもないところで涙が出てしまいました。
今現在そういう寂しい思いをしているお年寄りはいるし
私や私達もみんな将来必ずそういう時がきます。
でもそんなこと普段は滅多に考えないけど
この昔話にはしょっちゅう出てくるのです。
それを父が見ているのもなんかかわいいけど寂しいし
お年寄りの人達もこれを見ているのかなぁ?なんて考えていました。