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2006.3.31

今日で3月もおしまい。
私の気力が低下しているせいでこんなことを思うのか、
ここに自分の思ったことを書くのが
なんか自分のバカさ加減を暴露しているようで
恥ずかしいことに思えてきました。
一日の出来事とかをただ書くのはいいのですが
私の思想とか中にあるものを出すのは
稚拙で限りなくみっともないことだと気がついたんです。
私は別にお利口に見られたいわけじゃないけど
視野が狭く意味もなく、くだらないことを書くのは
人様の迷惑になるだけだと思ったのです。
とかなんとか書いてるけど
これはただ愚痴を言いたいだけなのかも。
今は気分の乗らない時なんでしょうね。
また書きたくなったらなんか書くでしょうし
そういう時は聞きたくない!と言われようとも
強引に相手の耳の近くで喋りだす私ですから。


2006.3.28

昨日Photoをアップしたらさっそく
サムネールを大きくして欲しいというアドヴァイスをいただいたので
今日改良して大きくしてみました。昨日の2倍のサイズです。
よく考えてみたらいくらサムネールをつけても
それがなんなのかわかんなかったら意味がないですね。
写真についても、この写真はなくていいとか
言ってもらえれば他のにチェンジしますので
遠慮なく言ってくださいね〜。
あとこれはサイズをもっと大きくして欲しいとかもOKです。
今は375×500ピクセルを基準にしていますけど
たくさん載せるのならこれぐらいがちょうどいいのです。


2006.3.27

やっと重い腰を上げてPhotoを更新してみました。
まずは制服からで、また時間のある時に
ちょこちょこと更新していこうと思っております。
今回の更新は今までのPhotoに新しいのを追加したので
ALLリニューアルというわけではありません。
以前は■にリンクを貼り付けていましたが
これだとあまりに不親切だと常日頃から思っていたので
小さいですがサムネイルを付けてみました。
サーバーの容量にも限界がありますので
なるべくましな写真だけを残していこうと考えていますが
自分だけの判断ではこれがいいとか良くないとか
わかりかねるところがありますので、
この写真はなくてもいいとか他のに替えて欲しいなど
何かご意見ご要望がございましたら
速やかに対応させていただきたいと思います。
何も反応がいただけないよりは何か言っていただける方が
嬉しいしやりがいがありますのでよろしくお願いします。
BBSかメールでよろしくね。


2006.3.23

友達が女は怖いと言っていましたが、
私も確かに過去に怖い目に遭ったことがありましたが
それは私にも原因があってのことだしお互い様だと思いました。
むしろ男だって口で言い返せなくなったら
腕力で相手をねじ伏せようとする人もいるから
女の人から見たらそういう暴力的な男は怖いと思います。
今日はその彼が怖いと行っている理由を
垣間見ることができたので貴重な体験でした。
その女性は一見おだやかで可愛らしく
私には印象が良い人なのですが
彼とのやりとりを聞いていたらいつもの穏やかさがなく
早口でまるで母が子供に叱っているような言い方でした。
私はその光景を片隅で見守っていたのですが
いつもとあまりに違う彼女の言動で笑ってしまいました。
確かに彼の立場だったら怖いと思います。
原因はいろいろあるのでしょうけど
女性を素の姿にしてしまう彼の能力はすごいと思いました。
彼が女性が怖いといったわけは
普段目にしている姿が本当の姿ではなく
その裏に隠れているものが想像つかないものだからなのだそうです。
もちろん全ての女性がそうなのではなく人によるのですが
男性にくらべて女性の方が見せかけの自分を上手に作っていて
本当の自分は自分でも気がつかないぐらいの
奥底に閉まってある人が多いとのことです。
私に思い当たるのは電話の時に
女の人は声が高くなるってことですね。
いつもの声の調子で話せばいいのに
なんでだろう?とよく思いました。
普段からできるだけ普通でいた方が楽だし
仲良くなった時に素の自分を出して
そのギャップでびっくりされないようにしたいものです。


2006.3.22

いかん、今日は完全に頭がからっぽです。
こんなに何も思い浮かばないこともあるんだなぁ。
こう思うと毎日、日記を書くのって頭を使っているんだなぁと思いました。
ネタがなくてもそのへんをほじくり出して書いてるんだけど
今日はほじくり出しても何もでてきやしない。
こんな日もあるんだなぁ・・しみじみ
からっぽの時は今私がからっぽであるということを
おもいっきし告白するのも潔くていいかもしれないね。
からっぽの頭、からっぽの人生。
もしもこのままずっと頭がからっぽだったら
そういうからっぽな人生になっていくんだろうなぁ・・しみじみ
これっていうのは俗に言う植物人間状態のことなんだろうか?
そもそも植物人間という言葉を始めてきいた時は
そりゃ恐ろしかったもんです。
人間の手や足から葉っぱが生えてきて
植物になるのかと思ったからねー。
まぁ人間に対して「植物」だなんてそういうことを
言い出した人は情がなかったとしか言いようがありません。
人間は人間じゃないですか。どこまでいっても。
やっぱり人間は頭を破壊されるとからっぽになって
なにも考えられない、何もできなくなるんでしょうか。
そんな時に仏様はどのようにして
助けてくださるんでしょうか?
一番重要なのはその人が幸せでいられるのかということ。
もしも幸せならいいのですが・・・


2006.3.21

『お金がなくても愛があればよい』という言葉は
誰が言い出したんでしょうか?いったいいつから?
この言葉に対する人々のたいがいの反応は
否定的でお金がなくては愛もかなわないというような
ことをよく見たり聞いたりします。
芸能人の女のコも愛よりお金だよ!って言っていました。
暇なのでこの言葉のことを考えてみたのですが
お金があるということはお金を所有するということ。
お金に対するモノとして愛が引っ張り出されて
価値観として比べられているように思えるのですが
これがとても不自然に思えるのです。
お金を所有しなくても愛を所有できればよい・・
ということだとしたらその愛というのはどういう愛なんでしょう?
これは誰かから愛情をもらっているという愛されることなのか
それとも自分自身の中には大いなる愛情があって
その愛で人々を照らすことさえできるという愛なのかな?
どこまで深い意味があってこの言葉が生まれたのか
その本当のところが知りたいと思いました。


2006.3.20

私はねこと仲良しなのでネコの気持ちは
なんとなくわかるような気がします。
ねこは犬みたいにへらへらしない紳士なので
少し気難しいところがあって掴み所がないですが
親しき仲にも礼儀ありを地でする種族ですので
あまり相手の中に入り過ぎないようにすれば
いい関係を保てると思います。
そんな私もねこに似たところがあるようで
だから親しい人とも一線を引いている面があります。
でも最近はどういうわけかウサギが好きになりました。
子供の頃の私はウサギのような可愛すぎる生物が
憎たらしくてイジめたくなりましたがそんなことはなくなりました。
ウサギの可愛さを素直にかわいいなと思えるようになったのです。
たまに長い髪を後ろで2つに縛って上に持ち上げている
女のコがいてそういう人はうさぎに見えるので
私は心の中で「うさぎちゃん」と親しみを込めて呼んでいます。
どうやらうさぎちゃんはピンク色と相性がいいようで
ピンク色が好きみたいです。耳がピンク色だからかな?
私もピンク色が好きなのでピンクの服とかよく買います。
派手な色ではなくて薄い淡い色です。
ねこな私がピンク色の服を着てうさぎちゃんと仲良くするのは
人類皆兄弟という言葉がぴったりです。
野生のネコならきっと野ウサギを襲うでしょうから。
それはメイとガブの関係に似ていますね。
うさぎちゃん→ピンク色→いちごとイメージが繋がるので
うさぎはいちごが好きなように思えてきます。
さっきいちご大福を食べたのがきっかけで
ここまでイメージが膨らみました。


2006.3.19

大好きなキミへ

いつもボクといてくれてありがとう
ボクを楽しませてくれてありがとう
ボクのために一生懸命でありがとう
いつもボクを見ててくれてありがとう
誰よりも人一倍シャイなボクは
自分の気持ちを素直に言えた事などありはしない
でも実はボクだってキミのこと大好きなんだ
そんなボクの本心はもしかしたら
一生キミに言えずじまいなのかもしれないけど
いつもボクと一緒にいてくれるキミのこと
本当に大好きだよ

ボクはキミ、キミはボク
キミとボクの間には境界なんか存在しない
ボクたちの距離は遠くてもいつも近くにいるの
ボクはいつもキミのことを見つめているよ
ボクはキミのことを考えている
キミの幸せをずっと考えているよ
遠く離れていても
いつも一緒なんだよ
愛するキミへ




2006.3.18

今日はお彼岸のお墓参りに行きました。
梅でも桜でもないピンクの花が咲いていました。
来週ぐらいには桜も咲くんじゃないかな?
お墓参りの人でけっこう混んでいて変な言い方ですが賑わっていました。
若いお母さんと子供とおばあちゃんを見かけて
もしかして旦那さんを早くになくされたのかな?と思いました。
あと無縁塚にお花が添えてあるのを見て
中には身寄りのない方が孤独になくなって
ここに眠っているのだろうか?と考えたりしました。
こういうところへ来るといろんなことを考えてしまいます。
でも静かでいい場所です。
その帰りにまだ11時なのに回転寿司に行きました。
朝食べたのは9時ごろだったけどなんのことはなく
私は六皿とうどんを食べました。
家に帰って部屋でくつろいでいたら眠くなったので
ベッドに潜り込んで寝ました。
そこで変な夢を見ました。

どこかわからない売り場のようなとこで
他に私の会社の同僚2人と品物を見ていました。
これから仕事で集まる場所があるけど
時間があったので時間潰しをしていたんです。
そしたら私が気になるおもちゃを見つけて
(トレーラーかトラックかのミニチュアだったようですが
実際の私はそんなものには興味ありません)
それを買おうかと手に持っていたら
実はそれが¥15000ぐらいと高いので買えなかったのですが
誰もいないのでそのままカバンに入れることもできたのですが
私は夢の中でもそういうことができないらしく
元の場所に返しに行こうと思いました。
その時に会社の人から携帯電話がかかってきて
待ち合わせの場所に3位以内にこれたら
私の用意した素敵なプレゼントをあげるよと言われました。
私の他には同僚2人と他に待ち合わせ場所に行く人が2人いるので
合計5人でプレゼント争いになります。
で、私は急いで行きたかったのですが
手に持っているおもちゃを返しにいかなくてはならないので焦りました。
けっきょく私はプレゼントがもらえませんでした。
帰りは地下鉄に乗っていたんですが
途中の池下という駅で事故があったらしく
トンネルの中で無理やり車輌から降ろされてしまいました。
それで地上に出てバスの路線図を見ました。
他にもバスを待っている人達がいましたが
私は近くのファミリーレストランに気をとられて
そっちの方に歩いていったんです。
戻るといつの間にバスがきたのか誰もいなくなっていました。
これではますます帰れなくなったと思い
それでまた地下に降りてみました。
そこで地下鉄が復活していたと思いますが
ちょっと忘れてしまいました。
起きてから考えてみたらこの夢から
私の行動パターンがわかってきました。
私の性格は何が起きてもそれほど慌てることがなく
あまり考えていないようです。
それに路線図を見てもよくわからなかったけど
あまり深く考えずにさらっと流していました。
場面場面での行動にこだわりがなくて
ひょろひょろと流されていっていました。
中にはひとつひとつのことをきっちりと理解するまでしないと
気がすまない人もいると思うけど
私はこういうタイプとは対照的です。
パニックには強いけど確実な成功が得られない人間ですね。
夢でこんな自分が分析できるとは思いもしませんでした。


2006.3.17

友達と死ぬとどうなるんだろう?という話をしました。
私のイメージでは本やネットで読んだ影響から
死んだら光輝く世界に行って心に平穏が訪れると思っていました。
私は人の話を何でも信じてしまいますので
そういうものだと思っていました。
しかし友達の話ではそもそも死んだら肉体がなくなって
脳がなくなるのでそういうことを考えられなくなると言いました。
じゃあ死んだら意識はなくなるの?と聞くと
ちょうど夜寝て朝起きるようなもので
寝てる時は意識とか感覚がないでしょう?
これは死んでる時の感覚と同じで
転生して生まれた時に朝起きた時のような目覚めがあると言いました。
なるほど、寝てる時は自分が誰だかわかんなくなるぐらい
意識が飛んでたりしますから何となくわかるような気がします。
私も死後に今と同じような感覚があるのは
ちょっと理解しがたいものがあるので彼の言うことも理解できます。
どうなるのかを知るには一度死んでみないとわかりませんが
死んだらおしまいですからこれは一生わかりません。
わかるには死んでからまた同じとこに戻ってこないとわからないので
そういう意味では死ぬことがわかった人は誰一人いないと思います。
わかるのは死んだ人自身ではなく残された人々ですね。
残された人はあの人が死んだということがよくわかります。
死後の話は誰の話を聞いてもどんな本を読んでも
いろいろ様々な憶測が人の数だけ並んでいるだけで
けっきょくは誰も知らないし誰にも永久にわからないという
ことだけがはっきりわかりました。
わからないことは深入りして追求しない方がいいのですね。


2006.3.16

土日の休みに何もすることがなくて
辛くてたまらないと言っている人がいました。
この人は仕事はものすごく一生懸命やるし
優秀なので給料もたくさんもらっているはずなのですが
なんとかわいそうなことに自分の時間を上手に使えないのです。
そういう私も人のことは言えないぐらい
たまに休みの日はポカーンとすることはあります。
人が幸せになるためにクリアしなければならない
課題はどんなところにも潜んでいます。
ある人は休みの日は寝てるだけで幸せという人もいますが
仕事を一生懸命やる人ほど向上心があるので
じっとしているだけでは耐えられないような気がします。
趣味の時間も仕事も含めて誰もが
充実した時間を過ごせるようになるには
どうしたらいいのでしょう?
これは人生の重要なテーマだと思いました。


2006.3.15

少し暖かくなってきたので
今日からウォーキングを再開しました。
今年の冬は寒かったのでだいぶさぼっちゃった。
おかげで運動不足で太ってきたしお腹も出てきました(汗)
良く言えば体が全体に丸っぽくなったので女っぽいですが
悪く言えばこれはオバちゃん体型だ!
私も年なのでオバちゃんと言われてもおかしくないですが
このままだと重量級のレスリングオバちゃんになってしまいます。
それに歯止めをかけるためにも運動が必要なのです。
帰りにちょこっとCD屋に寄って
モーツァルトの曲で3番目に気に入った
(1番目はフルート四重奏曲第一番、2番目は交響曲第41番ジュピター)
ピアノ協奏曲第23番を買ってきました。
私は演奏者が誰がいいとか全然知らないので
なるべく良さそうなのを選んでくるのですが
今聴いている感じではこれはアタリ!です。
この曲は3楽章あるのですがどれもが最高ですごいのです。
1楽章はうららかな春のような出だしから
優しくて暖かいメロディーで包まれて
2楽章は枯葉散る秋のような淋しさに包まれて
3楽章は元気いっぱいで転がっていくようなイメージ
それでいて愛らしい(この第3楽章が一番すき)
もしかしたらこれがアイライクモーツァルトベストワンになるかも。
これで私のモーツァルトコレクションは3枚になりました。
次は何が好きになるのかな?


2006.3.14

今日は友達と綺麗な人は得だなぁという話をしていました。
顔が整っていて綺麗でスタイルが良くて清楚な感じの人。
こういう人って印象がいいのでたいていの人は
「きっと心も美しい人。」と言っていたりしますし
私から見てもそうなんだろうなぁと思います。
このあたりの印象のよさは他の人に比べたら明らかに得です。
こういう時にどう考えたらいいのかわかりませんが
人は決してみんな平等な器量を持って生まれてきてはいないというのが事実で
「顔が全てじゃない」とか口で言う人がいても
なんだかんだいって口先だけだったりするじゃないですか。
これが平等だって言えるんでしょうか?
私が思ったのはこういう綺麗な人は
前世で立派だった人とかいいことをした人じゃないかって思って
もともと魂のレベルが高いから肉体も美しいのだと思いました。
ただこの世に生まれたからには何かを学ぶ目的があって
綺麗な容姿で生まれた人には
その容姿を持って生きていく上での学びがあり
そうでない人にはその他の学びがあるのだと思いました。
私が今回結婚しない(できない)のだとしたら
そこから学ぶべきことを学ぶ必要があるということです。
美しい人は人から妬まれたりモテすぎて異性に囲まれて困ったり
上司に誘われてセクハラにあったりと
美しい人にしか経験できないような学びがある筈です。
得することもあるけど面倒なことも多いかもしれません。
その自分の特性を旨く切りもみして
やっていくことができたらいいでしょうね。
いずれにしても綺麗な人は目立つし影響力もあるので
みんなをがっかりさせないような素敵な存在でいて欲しいものです。


2006.3.13

今日はいきなり雪が降ってきたのでビックリしました。
それも吹雪になっていたし。
私が帰る頃もまだ細かい雪がパラパラしていて
「これは神さまからのプレゼントだな。」と思いました。
もう冬が終わって春になろうとしているのに
冬からの最後の贈り物です。
寒かったけどなんか嬉しかったです。
今日は会社で面談があってその時に給料の話になり
上司から「今の給料でやっていけそう?」と聞かれたので
「今は独身貴族だから大丈夫だけど
私は一応男なので結婚するとしたら女性とすることになるから
今のままだと結婚するのは無理かもしれません。」と言ったら
「お金持ちの女性と結婚してみたら?」と言われてしまいました。
そっか、そういう手があったのかと初めて気がついたんですが
そんな話が簡単にあるものではありません(笑)
「それはヒモになるってことですか?」と言ったら
「結婚すればヒモにはならないよ。」と言われてしまいました。
なるほど、私が主夫になればいいってことか(笑)
だいたい私の頭の中の結婚という図式は
男性の働いたお金で女性と子供を養っていくことという
古くからの伝統がありましたので
そういう斬新な発想がこれっぽっちもなかったのです。
そうなると私にも若干の結婚できる可能性が出現したのですが
周りを見渡しても希望の持てそうな状況は見えてきません(笑)
結婚というのは私にとってファンタジーなのです。


2006.3.12

京都旅行には行きはアーバンライナーで2時間。
帰りはのぞみで35分(はやい)でしたので
帰ってきたのは8時ぐらいと早かったのですが
眠くて何も出来ずにお風呂から出たらベッドにバタン。
今日はのんびり10時に起きましたが
頭の中がからっぽで何をしてたのか覚えていなくて
軽い痴呆症にかかったみたいです。
今日は雨が降ってまた寒くなりました。
外が暗くてなんとも淋しい休日。
こんな日にひとりで部屋にいるのは辛いです。
なんか楽しいことを味わうと
その後に何の変哲もない空虚な時間に戻るけど
いつもはそれが普通だと思って過ごしているのに気付きます。
でもこの時間の中で考えていろんな発見があったりします。
ずっと楽しいことの中にいると不安はないけど
何かを考えたりする余裕がなくて
それで元の時間に戻るとぽっかりと穴があいたようになります。
仕方ないので今日はこのままでいることにしましょう。


2006.3.11

京都旅行に行ってきました。
京都ではTさまにお世話になりました。
このところ仕事が忙しかったので
こうして別世界で自分を解放できて
とても楽しかったです。
また3ヶ月ぐらいしたら行きたいなぁ。

雰囲気がよくておいしいインド料理屋さん。

もう冬はおしまい?暖かかったです。

観光地京都ならではの名所。
それだけに混んでいました。


2006.3.9

今朝はなかなか恐ろしい夢を見ました。
いつもの通勤コースを歩いていたら
なんとトラがいたのです。
こんなことは日頃考えたこともなかったのですが
実際にこうなってみるともうめちゃくちゃ怖い。
檻の外にいるトラというのは大きくて黄色くて
いつ噛み付いてきてもおかしくない危険な存在です。
私は木の陰に隠れてトラに見つからないようにするのが精一杯でした。
トラはあっちの方を向いてずっと立っていました。
私は手なづけられるかも?と一瞬考えたけど
恐怖心の方が大きかったのでできませんでした。
とにかく怖い夢だったです。

今の私は2月のあの頃の私とはすっかり
別人になったということを自覚しています。
新しい私は以前の私の体、記憶、人との関係をそのまま引き継いで
以前の私とは似て異なるベクトル上で生活をしています。
以前の私はどこへいったんでしょうか?
消えたのか、違う世界にいったのか
それとも脱皮したのか?
自分を変えていくものはいったいなんなのか?
季節なのか地球の位置なのか
自分の成長によってなのか、たんなる気まぐれなのか?
自分がずっと同じ自分でいられるという保障が
ないということに気がついた時は
今この瞬間の自分をしっかりと生きていたいと思いました。
時にも同じ瞬間がないように自分にも同じ瞬間の自分がありません。
できることは未来の自分に迷惑をかけないように
自分の体と人間関係をしっかりと維持し受け渡すことです。
次の私はもうそこまで来ているのかもしれない(ブルブル)


2006.3.8

私は何か落ち込むことや面白くないことがあると
ぱーっと何かを買いたくなるという良くない癖があるのですが、
実は金曜日に京都に旅行に行く予定があって
いつもは電車道中が暇なのでMDを聞いているのですが
このソニーのMDは充電池を取り出すプラスチックのとこが
割れているのでビニールテープを貼って
電池を出し入れする時はテープを剥がしたり貼ったりと
なんとも不憫な使い方をしなければなりませんでした。
それにMDはカセットをいくつか持っていくのでかさばります。
そしたら最近というかほんの月曜日ぐらいに会社の同僚が
アイポッドのことを教えてくれて「それいいなー」と思っていました。
そんでネットでそれ系のプレーヤーをチェックしていたところ
アイポッドは音が篭っていて良くないとか書いてあったので
私としては音楽を聴くんだから音がいいものがいいな!
と考えていたところソニーのライターみたいなのが
なかなかよさげだなと思いました。
それで旅行に行くんだしこの際ぱーっと買っちゃおうと思って
今日は残業もなかったのでヤマダ電機に寄ってエイッって買っちゃいました。
それと白の専用ケースも。
色はバイオレットで容量は2ギガもありますので
クラシックとかたくさん入れていこうと思っています。
それとメンズのジャケットも買っちゃいましたよ。色はベージュ。
これが恐ろしいことに私の体格がいいので
メンズのLサイズでばっちりなのです。
こんなんだからレディスの2Lでもパンパンだったのです。
これからレディス買う時はLサイズのお店に行くしかないかなぁ。
とにかくジャケットについてはこれで心残りがなくなりました。
話を戻してソニーのライターみたいなプレイヤーですが
これを一般的に何ていうのかよくわかりませんが
MP3プレーヤーとか言えばいいのかな?
箱にはウォークマンと書いてあるのでこの名前でいいのでしょうきっと。
これにつけるヘッドホンは付属のだとショボイので
ポータプロというちょっと古臭いデザインのをつけようと思っています。
これは細かい音は苦手だけど低音のパワーがあってよいです。
この新しいメカをガシャガシャいじって
面白くないこともいつのまにか忘れているのでした。


2006.3.7

仕事で遅くなって暗い夜道を歩いていた時のことです。
辺りは街灯があまりなくて淋しい通りなのですが
ベンチの近くに自転車があるのが見えて
誰かいるのかな?と警戒したところ
ベンチに座っている人影が見えました。
よく見ると二人いてそれも若い男女で
抱き合ってキスしていました!
私のショートブーツはカツカツと音を立てているので
気がついても良さそうなのに
気がついているのかいないのか
二人は一向にキスをやめませんでした。
近頃の若い人達って怖いもの知らずというか
やりたい放題おかまいなしというか羞恥心がないというか
見せつけたいのかよくやるなぁと思いました。
私だったらそんな人目の気になるところでできません。
他にもいちゃいちゃしながら歩いているカップルがいたりして
春が近づいているんだなぁと思わされました。


2006.3.6

はじめて女のコのスーツを買ってみました。
薄い縦縞のストライプの入ったグレーのパンツスーツのセット。
今ちょうどリクルートスーツが売出し中なので
サイズが豊富にあって買いやすいチャンスだと思ったのです。
以前にニューハーフなジュンちゃんが
仕事帰りにカッコよくパンツスーツ姿で
ベンツから降りる姿を見てそれが私の憧れになりました。
本当はこれを着て仕事に行きたいぐらいなんだけど
ちょっと無理があり過ぎるかなぁ(苦笑)
女性の体格って花瓶型で腰がくびれていて
お尻が大きい台形型なのですが
私の体格だと上半身がたくましいので
逆台形型になっちゃうんです。
なのでスーツに限らず女のコの格好をすると
プロポーションが決まらないのです。
それでも着てみたかったので思い切って買いました。
サイズは15号でパンツはウエストが73もあるのでゆるいのですが
ジャケットはこのサイズでやっと体にフィットします。
桜の花が咲く頃にこれを着て写真でも撮ろうと思っています。


2006.3.5

昨日は映画を見に行って帰ってきたのが遅かったのですが
それからごちゃごちゃとやっていたら寝たのが3時過ぎで
そうなると朝も起きれずにリズムが狂っちゃいました。
こういう日はゆったりできないので
何か考える余裕もなく、今私の頭はからっぽです。
そうそう書こうとしていたことを思い出しました。
私は心の許せる友人にはつい甘えてしまいますが
そういう人ほど普通の人には言えない話を気楽にぼそっとします。
それはここに書いているような妄想話や眉唾な話。
先日はパワーダウンの話をして
霊がついたんじゃないか説と宇宙線にあたったんじゃないか説をしたのですが
彼は地に足のついた冷静派なので
私の話を優しく受け止めておいてから、
ペンを取り出して説明をしはじめました。
そうするとパワーダウンの原因の95%が肉体的な疲れ。
残り5%が霊もしくは宇宙線の影響という説明をしました。
彼は遠まわしに私のパワーダウンの説を否定したのです。
私はムッとしましたが考えてみたらそれは私の想像の話なので
別に真実であるわけでもないのです。
私は地に足のついていない非現実的な考え方を
ついついしてしまうので彼は
そのことに気付かせてくれたようです。
それは正論だし言ってることはわかるんだけど
私としては人生を遠回りするようなこういう
ユニークな話もいいんじゃないかと思ったんです。
それというのも私の頭の中では常に現実よりも
何か面白い非日常的空間を探し求めていて
それを小説にしようとか狙っているのです。
私ってなかなかあくどい人間でしょう?
そういうわけのわかんない話をして
それは魔法攻撃だったりして相手を洗脳しようと企むけど
なかなか成功しませんね。
逆に私はそういう話をころっと信じてしまうので
彼のような冷静な人間が近くにいた方がいいのかもしれません。


2006.3.4

昨日の日記で『夢』を見た感想を書いていましたが
一番書こうと思ったことがすっかり抜けていることを
昨夜ベッドに入った時に気がつきました。
それでそのまま起きて文章を追加しようと思ったけど
まぁいいやと思って寝ました。
それは『夢』のエピソードのひとつに、ひな祭りの話があって
ちょうど昨日がひな祭りだったので
なんてタイムリーなんだ!とびっくりしたことです。
それも見ていた時間が11時55分頃で
まだ3日の内だったのですよ。
で、このひな祭りの話は映像は綺麗なのですが
普通に考えるとちょっと怖くてぶるっとします。
日頃人形だと思っていたものが動いているのは
不気味なものがあるのですよね。
そう思いつつも滑稽だったりして
この微妙な雰囲気と凄さは何ともいえませんでした。
感想の答えがひとつではない感じです。
この映画また見たくなりそう。


2006.3.3

今日は桃の節句。雛祭り。
私は3という数字が好きでそれが2つも並んでいていい気分。
女のコ達もこの日は何か特別な感情を抱かれるのではないでしょうか?
仕事も一段落して帰りにビデオレンタルに寄って
見たかった黒澤明の『夢』を借りました。
ついでにCDショップに寄ってモーツァルトの交響曲
第41番ジュピター(ブルーノワルター指揮)を買って
車のガソリンを入れて帰りました。
また知らないうちにガソリン代値上げしてて参りました。
夕食を終えてお風呂にはいって一息ついたらもう11時半。
明日は映画に行くので夜時間が取れないと思い
借りたての『夢』を見ることにしました。
見終わって日記を書いているのがもう2時過ぎ・・
正直言って眠くて『夢』を見ていた時も
まるで自分が夢を見ていたような不思議な感じでした。
友達から聞いていたのは鬼の話でしたが
この映画はいくつかのストーリーがオムニバスに入っていて
どれも異なるストーリーでした。
映画を見ているという感覚からは遠のいて
何を見ているのかわからなくなるような
本当に不思議な内容で感想になっていませんが
ちょっとづつ社会へのメッセージ性が含まれていることと
キツネとか雪女などのただならぬ怖い感じと
ほんわりとした綺麗な風景やお花が印象的でした。
特にお花が綺麗でそんなに花に対して
興味のない私だけどそればかりに目がいって
綺麗だなぁと見とれていました。
花は本当に美しいのですね。
鬼の話のところはまず原発が爆発して富士山が
真っ赤になって噴火している話から始まって
放射能が吹き荒れて人々が海に飛び込み自殺をするまでが第一部。
それから続きのような形で次の夢のエピソードになり
そこではもう世界は核戦争でボロボロになっていて
生き残った人間は鬼になってしまい
鬼の頭に生えている角が多いほど身分が高いようで
何しろ食べる物が何もないので共食いとしているという世界でした。
放射能の影響でタンポポは巨大に成長してるし
鬼になった人間は死なない体になってしまい
さらに頭に生えた角が悪性腫瘍のように痛むとのことで
それは生きながら苦しまなければならない地獄の世界のようでした。
こんなだったら死んだほうがマシって思いました。
私が思いますに罪深い人はいつまでも生きて
死ぬより辛い苦しみを味わうのがこの世界で
心の澄んだ人間は先に死んでしまっているようでした。
最後のエピソードは大往生でなくなったら
お葬式をするのではなくてお祭りをするという話で
死ぬことは悲しいことではなくて、人生の勉強を終えて
苦しみから解放されるからおめでたい事という
それは私にもとても納得できる内容でした。
この作品は内容が重いようで軽やかなような、なんとも説明しにくくて
ただ不思議というのが私なりの感想でした。


2006.3.2

自分のパワーダウンの原因について
いろいろと考察していたところ
ひとつ思いついたことがありました。
単純に疲れが原因とかで済ませるべきなのですが
そこでいらない想像力を働かせてしまうのが私の悪い癖なのです。
まずは低級霊に取り憑かれたんじゃないか?という説。
なんでこんなことを考えたのかというと
考え方に近頃の私らしくない悪魔的な一面が見え隠れしたからです。
その一面とは人のことを思う気持ちに面倒くささが表れて
それは残念ながら精神性の退化を感じました。
でも頭でそれがわかっているのにどうしようもなくて
今日そのことを会社の同僚に相談してみたところ
「一念三千」とかいう言葉を聞きました。
詳しい内容はよく覚えていませんが
人間には調子のいい時もあれば逆の時もあるので
それは無理にどうこうできるものではないようです。
なので私としてはできるだけおとなしくして
悪魔的な面を表に出さないように努めることにしました。
そして一生懸命仕事に集中していたら
そんなことは忘れていました。
もうひとつの説は面白い考えなんですが
神岡町にスーパーカミオカンデという施設がありまして
それは宇宙から放射されてくるニュートリノという素粒子を観測する装置なのですが
ニュートリノはとても小さいので人間の体も地球も貫通して抜けていってしまいます。
でもひょっとしたらその人間を通り抜けていく時に
何か影響を与えることがあるんじゃないかと思ったのです。
簡単に言いますと私のパワーダウンの原因は
宇宙線が当たったからという説でした。
すごくバカバカしいことを考えたなぁと思います。
考えてみたら自分の調子の悪い原因を
何かのせいにしたかったということですね。
自分が原因でも何かのせいにして
自分は間違ってないのだと思いたかったのです。
私はぜんぜん完全な人間じゃないとわかっているはずなのに
どこかで完全無欠な存在だと思っているんでしょうね。
悪魔的になっていると「ケケケケ」と笑いながら
そうやって自分のことを客観的に見れなくなっているし
またそう見れたとしても、そういう真面目な自分がバカに見えて嘲笑います。
自分のことが信じられなくなるのだから人のことも同じになります。
愛の放射ができなくなり、それができない自分が
退化しているということだけがわかります。
その時こそ他力本願に全てを委ねます。
本当に霊に取り憑かれたのか、宇宙線にやられたのかわかりませんが
少しでも自意識に善の領域が残っているのなら
おとなしく嵐が過ぎるのを待つのがいいみたいです。


2006.3.1

今日から3月ということで
日記のページも更新なのですが
どういうわけか超パワーダウンで
上の写真を貼り付けただけで疲れて
何も書けなくなりました。
この派手なバックも疲れを倍増しています。
こういう時はおとなしく早く寝ることにします。(正直な私)
といいつつこの際だからちょこっとだけ。
ちょっとだけヨ。
実は2月頃からミクシーというコミュニティサイトに参加していまして
その心はここ(私のHP)だけだと広がりにも限界があるので
もうちょこっと私の考えとか意見を外に出して
多くの人とコミュニケーションをとってみようと思ったのです。
私もけっこう長いことHPやってますけど
一部の方を除いてはほとんど日記や音楽、写真などの
感想とかをいただいたことがなくて
出しっぱなしの一方通行感が強くありました。
ミクシーには日記のページにここに書いたことを
そのまま貼り付けてるんですが
よく感想とかコメントをいただいていて
いろいろと気付かされる面もあって面白いのです。
また他の方の書かれた日記にもコメントをつけられます。
これからもここでは変わらずに日記をつけていきますが
ミクシーの方も続けていこうと思っています。
というわけで今回の日記はミクシーにはナイショです(笑)