Diary Topへ戻る




2010.3.30

長らく続けてきた
ユカ天使のHPのプロバイダを
変更することにしました。
なのでアドレスが変わることになります。
というのもいろいろと経費の見直しをしていて、
フレッツ光が高いのでケーブルテレビの
ADSL回線にグレードダウンすることにしたんです。
そうなるとメールアドレスも変わるし、
ホームページ容量もないので
どこか無料のサイトで存続することにしました。
アドレスはこちらになります。

http://yukatenshi.himegimi.jp/


2010.3.26

キンモクセイの香りが漂い
桜の花が咲く季節がやってきました。
ほんとにこの冬は長かった・・・
違っているのはいつもいるはずの
父がもういないということです。
去年この写真を撮った時は
まさかこんなことになるとは思わなかった。
ほんとに未来ってわからないですね。
今年も桜の写真を撮りたいと思ってます。
今年の私は髪が短いので
どうなるのかわかんないけど、
またこのOL服を着ようと思ってます。



2010.3.23

まだ父が生きていて病院で
苦痛と戦っている時、
私は駅から出て雨の降る道を歩いていました。
そしてぼんやりと考えました。
もしも父が死んだら、この世界が
消えてしまうんじゃないだろうか・・・
でも実際にはそんなことは起こりませんでした。
父が生きていようがいまいが、
この世界はそんなことにお構いなく
いつものように動き続けています。
そしていづれ誰からも忘れ去られていく。
それは私が死んだ時もおなじようになるってことが
証明されたわけで、
この世界はそういうものなのかーと
いうことが実感できました。

父がまだ生きていた時に
やりかけだったこと。
ちらかった部屋とか途中のゲームとか。
そんなどうでもいいようなことがまだ存続しているのに
父がいないことが不自然に感じてしまいます。
しっかりとけじめをつけてエンドになるってことは
なかなか難しいことなのかもしれない。

ところで気になるのは
日本では死んだら火葬されますけど、
もしも、遺体にまだ魂が残っていて
もうちょっとの時間残しておいたら
次に生まれ変わる準備をしてるんだけど
火葬でボーッて燃やしてしまったら
そのチャンスが失われてしまうとしたらどうします?
そんなことを考えていたらなんだか恐ろしくなってきました。
棺桶に入っていた父は2時間半後に
ボロボロに壊れた骨と灰になっていました。
数日前まではちゃんと生きていたのに。
それが影も形もなくなってしまうなんて。
ちょっと信じられないです。
実は私は密かにものすごい
トラウマ的ショックを受けてしまったのかもしれない。

私は子供の頃は病院がこわくて嫌いだったので
病院のことばかり気にするようになり、
いつのまにかけっこう好きになってしまいました。

今度は・・・火葬場の番かな?
火葬場のことがすごく気になります。


2010.3.20

昨日は仕事を休んで
平日にやっておかなくてはならない
事務的なこと(世帯主の変更、住民票、
母の国民健康保険、年金の変更など)や、
保険関連、父の銀行口座、カード、
引き落としの確認、携帯電話の解約など・・・・
妹に手伝ってもらいながら、
朝から晩まで休む暇なくいろんな手続きをやって
めちゃくちゃ疲れました。
ストレスがたまってきて頭が痛くなるし・・・
夜に友達に話したらきてくれて
話をしたり肩を揉んでくれたりしました。

今日は学校にいかなくてはならなくて
なんとかでかけていったんですが、
バスカードをどこかに落としたのか
誰かにとられたのかわからないけど、
なくしてしまいました。
注意力が散漫になっているようです。
ゆっくりやすんで疲れをとらないといけませんね。


2010.3.18

ホントはとてつもなく疲れているし
眠いのだけれど、この貴重な経験を
忘れないうちに書いておこうと思います。

今日で父のお葬式が終わりました。
昨日は午前中に自宅で父の遺体の湯灌をしてもらい、
夜の6時から斎場で前夜式(通夜)を行いました。
私は喪主なので来て下さる方に挨拶をしていましたが、
当然知らない方のほうが多くてあくせくしました。
葬儀は母の意向で全てキリスト教(プロテスタント)で
行うことになり、まったくはじめての経験なので
どんなふうになるのかやってみるまで
わかりませんでしたが、
非常に簡素でわかりやすく、また
賛美歌を歌ったり聖書からの引用を
していただいたりと変化のある内容でした。
仏式のお葬式がほとんどだと思うので、
はじめて体験される方も多く
斬新に感じられたんじゃないでしょうか。
私自身は仏式のお葬式は
線香のニオイとか木魚の音とお経に
あまり感情移入できない性質なので、
今回は胸に迫るものがありました。
妹はずっと泣いていましたが
私の心では主観的な自分と
客観的な自分の2つが同時に存在していて、
父の遺影を見てひっそりと悲しみつつ、
参加者の方を観察したり、
式の成り行きを見守っていました。
葬儀会社の係に言われたとおりの
段取りでやっていかなければならなくて、
自分の感情をコントロールしなければ
ならなかったのであります。
でも賛美歌の歌詞の内容にたまらないものがあり、
歌っている途中で声が出なくなりました。
こうして前夜式は終了しましたが、
個人的には特になにもお願いしていなかったのに
会社の同僚の方々がきてくれたのと、
疎遠になり連絡のつかなかった5年ぶりぐらいの
旧友に会えたことは嬉しかったです。

そして今日は告別式でした。
昨日のような流れで式は進み、
出棺の時に棺桶の蓋を開けて
親族みんなでお花で飾りました。
最後のお別れということで
父の顔を触ったらドライアイスで
冷やされているせいでとても冷たかったです。
そして黒いリムジン霊柩車の助手席に乗って
火葬場に向かいました。
日本では当たり前だと思われている火葬ですが
死んだばかりの肉体を燃やしてしまうなんて、
なんだかひどいシステムだと思います。
だけどほうっておくと痛んでくるから
これが合理的なのでしょうけれど。
ここで印象に残ったことは
火葬場で仕事をしている市の職員でした。
棺桶を台車に載せて運び
実際に点火スイッチをつけて火葬をする人。
深く礼をして私達を丁重に迎えてくれますが、
考えてみたら物凄い仕事をしている人です。
これを毎日絶え間なくやるなんて・・・
いくつもの頑丈な大きな炉が並んであって、
番号が振ってあります。
そこへ棺桶を押し込み、扉を閉じて火をつけます。
棺桶が炉の中に吸い込まれていく時、
なんとも淋しい気持ちになりました。
焼き終わるまで2時間半かかるので、
一同はマイクロバスで待機室にまわされました。
時間がきたら再び元の炉に集まって
中から出てきたのは父の壊れた残骸でした。
これはけっこうショックでした。
昨日、あれだけ湯灌で綺麗にしてもらったのに・・・
私は喪主なので喉仏の骨を最後に骨箱に入れました。
とても小さくなってしまった父・・・
とは思っていませんでした。
だって父は亡くなった瞬間に
魂は肉体を離れているのですから、
遺体は残骸だと思っていたんです。
だけど、母はそう考えるのは辛いと思うし
やっぱり残った遺体にもまだ
何かがあるんじゃないかと思えるから、
そのようにあっさりと考えるのも難しいです。
台車の上にはまだ残った骨の残骸と
焼けない棺桶のホッチキスがありましたが、
これは市が供養して埋葬すると言っていましたが、
ひょっとして適当に捨てるんじゃないでしょうか。

私は骨箱を抱えて火葬場から
マイクロバスで斎場のホールに戻り
親族達と精進落しの料理を食べて解散です。
帰りはまた雨が強く降り出して、
夜の病院に向かった時のようで、
これは父の涙なのかもしれないと思ってしまいました。
そしてやっと家に戻ってこれました。
まだ悲しんでいるゆとりはありません。
自分にお疲れ様と言ってあげたいです。


2010.3.16

昨日の日記を書いた後に
病院にいる母から電話があり
父の容態がよくないので今日は病院に
泊まるという連絡があったので
私も病院にいくことにしました。
もう夜の10時をまわっていて
外は雨が強くなっていました。
病院に着いてみると父の具合は悪く、
心拍数などのデータの数値が低下していました。
はじめに話しかけたとき、
少し目がピクピクと反応したけど、
それから何を話しかけても反応がなくなり
昏睡状態になったようでした。
12時ぐらいまでいて次の日が仕事なので
私は帰ることにしました。
あと1日ぐらいはもつかな・・と思っていたんですが、
今朝の6時41分に母から電話があって
父の呼吸が止まったと言われました。
正確に亡くなったのは6時47分です。
それからすぐに葬儀会社に電話をして
病院に向かってもらい
父の遺体を家に運んでもらいました。
父はずっと「家に帰りたい」
と言っていたのでそうすることにしたのです。
それで今、1階の両親の部屋で
父は眠っています。
死に顔はなんだか笑っているようで
とっても安らかです。
きっと天国にいっているのでしょう。
仏教では49日の後に極楽浄土へいくと
されていますが、キリスト教だと
死後、さまようことなくすぐに天界へ召されます。
私はそれが自然だなぁと思っています。
私は長男なので喪主をやらなければならなくて
今日は葬儀屋さんとの打ち合わせや
親戚とのやりとりでいきなり忙しくなって
かなりへとへとになりました。
明日は通夜であさってが告別式です。
けっきょく私は何も孝行ができなかったので、
せめてお葬式だけはしっかりやりたいです。


2010.3.15

今日は真面目に書いてみようかな。
昨夜は夜中の4時前にハッと目が覚めて、
父のことを思い出しなにやら嫌な予感がしたんです。
それからしばらく眠れなくなり
ベッドの中で物思いにふけていましたが、
今朝、会社にいって驚くことがありました。
療養中の社員の方が亡くなったんです。
この方は2年前ぐらいに足の裏のホクロのガンになってしまい、
けっきょくリンパに転移してしまったということです。
この方とはそんなに面識がなかったんだけど、
私と同い年なので病気になったことを
知ってから気にしていました。
2月の半ば頃、杖をついて歩いているのを見かけました。
腰が疲労骨折になったと聞きました。
その時に顔色がとてもよくなかったので、
だいぶ無理して会社に来てると思ったけど、
でもまさか、父より先に亡くなってしまうとは思いませんでした。

一方、私の父ですが日増しに悪化していて、
先週の金曜日に心拍数が異常になったので
電気ショックをしたそうです。
それから肺炎になり、肺に水がたまるので手術をしたりして
金曜日に妹と子供達がお見舞いに来ました。
私は土曜日に講習があったので、
昨日、母と妹たちと一緒に病院にいきました。
病室に着いたときにピーヒョロピーヒョロと
奇怪な笛の音がしていました。
自力で呼吸ができないので、
けっこう強い圧力で酸素吸入をされているのです。
それが漏れて変な音がしているんです。
お腹がぼこんとタヌキのように膨らんでいるわけは
その酸素吸入のせいでもありました。
看護婦さん二人がかりで体の向きを変えてもらって、
服を直してもらったり、おしめをかえてもらったり、
自分では何もできないのでされるがままです。
膨らんだお腹のことを「栄養たっぷりだねー」
とか看護婦さんに言われたりしながら、
見ているとなんだか滑稽なんだけど、
本人はとても苦しんでいるんです。
プライドが高い人は屈辱を感じるのでは?
このギャップが人生の現実の無常さなのかな・・・
と思ったりしました。
昨日はかなりえらそうで話しかけても
反応があまりなかったのですが、
「じゃぁ帰るね」と私が言った時に
がばっと起き上がって左手の指を上に上げて
何かフガフガ言っていたのですが
何度聞き返しても聞き取れませんでした。
今日は肺が感染症を起こして
レントゲンでは肺が真っ白になり、
さらに苦しい状態になっているそうです。
こんなに辛いのに逃れられないというのは
まさにこのことだと思います。
死んで欲しくないけど楽になって欲しいという
矛盾した気持ちがこのところずっと続いています。




2010.3.10

毎日雨でうっとうしいですね。
洗濯物が乾かなくて
バスタオルが足らなくなっています。
父はあれから2度ほど手術をして
なんとか生きていますが、
そろそろあぶない感じです。
だいぶ心の準備ができてきたので
まぁ、なんとか乗り切っていけると思います。
今は友達に励ましてもらってるし、
ゲームボーイが心のオアシスです(笑)